赤い船(二)
その家はりっぱな家で、オルガンのほかにピアノや蓄音機などがありました。 露子は、なにを見ても、まだ名まえすら知らない珍しいものばかりでありました。 そしてそのピアノの音を聞いたり、蓄音機に入っている西洋の歌の節など聞きましたとき、これらのものも海を越えて、遠い遠いあちらの国からきたのだろうかと考えたのであります。 昔、村の小学校時代にオルガンを見て、懐かしく思ったように、やはり懐かしい、遠い、感じがしたのであります。
その家には、ちょうど露子の姉さんに当たるくらいのお方がありまして、よく露子をあわれみ、かわいがられましたから、露子は真の姉さんとも思って、つねにお姉さま、お姉さまといって懐きました。
よく露子は、お姉さまにつれられて、銀座の街を歩きました。 そして、そのとき、美しい店の前に立って、ガラス張りの中に幾つも並んでいるオルガンや、ピアノや、マンドリンなどを見ましたとき、
「お姉さま、この楽器は、みんな外国からきましたのですか。」
と問いました。お姉さまは、
「ああ、日本でできたのもあるのよ。」
といわれました。
露子の目には、それらの楽器は黙っているのですが、ひとつひとつ、いい、奇しい妙な、音色をたてて、震えているように見えたのであります。
そして、晩方など、入り日の紅くさしこむ窓の下で、お姉さまがピアノをお弾きなさるとき、露子は、じっとそのそばにたたずんで、いちいち手の動くのから、日の光がピアノに当たって反射しているのから、なにからなにまで見落とすことがなく、また歌いなされる声や、かすかにふるえる音のひとつひとつまで聞きのこすことがなかったのであります。
露子にはピアノの音が、大海原を渡る風の音と聞こえたり、岸辺に打ち寄せる波の音と聞こえたのであります。 そして、ピアノをお弾きなさるお姉さまが、すきとおるお声で、外国の歌をうたいなさるお姿は、いつもよりかいっそう神々しく見えたのであります。 水晶のようなお目は星のごとく輝いて、涙が浮かんでいたのでありました。
露子は、自分の母さまや、父さまのことを思い出し、また村の小学校のことなどを思い出して、いつしか熱い涙が、ほおを流れたのでありました。
