肩に指を二本
二月の市の武道館は、外より寒い気がした。 奈緒は始発の電車で来て、胸に番号の札をつけ、弓道場の板に座っていた。
受付でもらった名簿には、番号と名前と出身が書いてあった。 奈緒の出身の欄は「東京」、三つ下は「ドイツ」。 受験者で外国人は一人だけだった。
エレナさんが隣に座り、名簿をのぞいて笑った。
「毎年、外国は私だけですね」
「気になりますか」と奈緒は聞いた。
「いいえ。事実ですから」
エレナさんは奈緒の右の肩に指を二本のせて、下に押した。 奈緒は肩を下げた。
「上がっていると、矢は右へ行きますよ」
エレナさんが弓を引き始めたのは、奈緒が生まれるより前だ。 母国では、弓を引いたことがないという。 三十を過ぎてから習って、教えるようになった。
「母国へは帰らないんですか」と前に聞いたことがある。
「五年に一度、帰国します。母がいますから」
エレナさんは少し考えた。
「国籍は日本ですが、初めて会う人には外国人です。慣れました」
去年の秋は、二本とも外した。
エレナさんの組が先に立った。 足の音が止まり、道場が静かになった。 二本とも、的に当たった。 審査員の机で、筆が動いた。
奈緒の番が来た。 一本目は、的の右へ外れた。 でも、右の肩が上がっていたのは自分で分かった。 肩を下げた。 二本目は、当たった。
終わってから、玄関で靴を履いていると、受付の人が話しかけてきた。
「さっきの背の高い方、外国の方でしょう。お上手ですねえ。出身はどちらですか」
「ドイツの出身です」と奈緒は言った。 それから、続けた。 「私の先生です」
自分の声が、思ったより大きかった。 道場の戸が開いて、弓の袋を持ったエレナさんが奈緒の横に並んだ。
「聞こえましたよ」とエレナさんは言った。
自分の右の肩に指を二本のせて、下に押してみせた。 そして先に外へ歩き出した。 奈緒はあとを追った。
