週に二回のお客さん
母が同じ話を三回続けたとき、私はまだ、少し疲れているだけだと思っていた。
去年の春、母は鍋を火にかけたまま買い物に出てしまった。 近所の人が煙に気づいてくれて、何も燃えずにすんだ。 けれどその夜、私は初めて「認知症」という言葉を、自分の家のこととして考えた。
母は七十八歳で、四十年住んだ千葉の家を離れたがらない。 施設という言葉を出すたびに、母は黙ってしまう。 私は東京で働いていて、週に二回、電車で一時間かけて実家に通った。 掃除をして、買い物をして、薬の袋を曜日ごとに分けて帰る。 それだけで日曜日が終わる。
秋になって、私は市役所の窓口に行った。 介護保険は、四十歳以上の人がみんな毎月払っている保険で、認定を受ければ、費用の一割ほどで介護のサービスが使えるようになる。 調査の人が家に来て、一か月ほどして「要介護一」という結果が届いた。 ケアマネジャーという専門の人がついて、週に二回、ヘルパーさんに来てもらうことに決まった。
正直に言えば、最後まで迷っていた。 娘なのに、母の世話を他人に頼む。 それは負担から逃げることではないか。 それに、知らない人が家に入るのを、母は嫌がるに違いない。 そう思っていた。
ヘルパーさんが来るようになって三か月ほど経ったころ、いつものように実家に寄ると、母が鏡の前で髪をとかしていた。
「今日は、来てくださる日だから」と母は言った。
私が毎週通っていた一年の間、母は一度も鏡の前に座らなかった。 娘の前では、母はいくらでもだらしなくいられる。 それは楽なことでもあるけれど、母が母のままでいられる時間ではなかったのだと、今は思う。
台所には、ヘルパーさんが書いた小さなノートが置いてある。 今日は一緒に味噌汁を作りました、庭の菊が咲きました、そんなことが二、三行ずつ書いてある。 私は毎回それを読んでから、母の隣に座る。
「恵子、お茶いれてくれる」
母は私に、そう言うようになった。 世話をしてもらう人の言い方ではなく、娘に頼む言い方だ。 週に二回、母は人を迎える。 残りの日、私はただの娘として、同じ話を三回でも聞いていられる。
