閉店のお知らせ
駅から少し歩いた路地に、その本屋はあった。 「みどり書店」という、小さな古い店だ。 ゆりは、大学生のころから、もう五年もここに通っている。
新しい本の匂いと、少し日に焼けた古い本の匂いが混ざったこの店が、ゆりは好きだった。 店主のおばあさんは、いつもレジの奥の椅子に座って、静かに本を読んでいる。 ゆりが何か探していると、「それなら、この棚のいちばん下にありますよ」と、顔も上げずに教えてくれる。
その日、ゆりが仕事帰りに店に入ると、おばあさんは、棚の本を一冊ずつ、ていねいに箱に詰めているところだった。
「あれ、模様がえですか」とゆりは聞いた。
おばあさんは、手を止めて、静かに笑った。 「ゆりさん。 実はね、今月いっぱいで、この店を閉めることにしたの。」
ゆりは、言葉が出なかった。
「もう、年だからね。 目も悪くなってきたし。 この本屋を始めて、四十年。 ちょうど、区切りかなと思って。」
「そんな……」とゆりは、やっと声を出した。 「私、この店に来はじめて、まだ五年ですよ。 もっと早く、知っていればよかった。」
「いいのよ」とおばあさんは、また一冊、本を箱に入れた。 「五年も通ってくれて、うれしかった。 あなたみたいな人が、時々来てくれたから、続けてこられたの。」
ゆりは、いつも座る窓ぎわの椅子に、腰をおろした。 この椅子も、この棚も、来月にはもう、ここにない。 そう思うと、胸の奥が、きゅっと痛くなった。
「何か、私にできることは……。」
「気持ちだけで、じゅうぶんよ」とおばあさんは言った。
その夜、ゆりは、なかなか眠れなかった。 あの店がなくなること。 あの椅子で本を読んだ、たくさんの午後のこと。 ふとんの中で、天井を見つめながら、ゆりは考え続けた。 何か、本当に、何もできないのだろうか——。
