通訳はいらない
まなとが青森のおばあちゃんの家に行ったのは、小学五年生の夏が初めてだった。
駅に迎えに来たおばあちゃんは、まなとの顔を見るなり、何か長いことを言った。 まなとには、一言も分からなかった。 日本語のはずなのに、音だけが流れていく。
「『大きくなったなあ、背が伸びたなあ』だってさ」
父が笑いながら通訳した。 父はこの町で育ったので、方言も標準語も両方使える。 まなとは小さく「うん」と言うことしかできなかった。
次の日から、おばあちゃんは長い話をやめた。 代わりに、短く言うようになった。 台所でりんごの皮をむいて、皿をまなとの前に押して、「食べ」と言う。 畑に行くときは「来い」と手を動かす。 まなとは、言葉の意味というより、おばあちゃんが何をしてほしいのかを、その場の様子から考えるようになった。
三日目には、半分ぐらい分かるようになっていた。 分からないときは父を見ればよかったし、何度聞き返してもいいのだと気づいてからは、ずいぶん気が楽になった。
帰る日の朝、おばあちゃんが皮をむいたりんごを出してくれた。 まなとが一口食べたとき、おばあちゃんが言った。
「うめぇが?」
「うん、うめぇ」
まなとは、考える前に答えていた。 父が驚いた顔をした。 おばあちゃんは、声を出して笑った。 それから、また何か言った。
父が口を開こうとしたので、まなとは先に言った。
「分かってる。『また来い』でしょ」
父は少し黙って、それからうなずいた。
「通訳、もういらないな」
新幹線の窓から畑が見えなくなったころ、父が「あの言葉を聞くと懐かしい」と言った。 東京に出てから使わなくなって、自分ではもう出てこないらしい。
まなとは、来年の夏も来ようと思った。 今度は、おばあちゃんの長い話を、最後まで聞いてみたかった。
