売らないという説明
駅前のドラッグストアのいちばん奥に、白い小さなカウンターがある。 棚に並んでいる薬と、このカウンターの向こうにある薬は、名前がよく似ていても別のものだ。 棚のほうは市販薬、カウンターの向こうは処方箋薬と呼ばれる。 市販薬は自分で選んで買えるが、処方箋薬は医師の処方箋がなければ受け取れない。
火曜日の午後、七十代くらいの男性が、咳止めの箱を三つ持って白衣の薬剤師の前に立った。
「これ、いちばん強いのはどれかね」と男性が言った。
薬剤師は箱を受け取りながら、「咳は、いつごろからですか」と聞いた。
「三週間ぐらいかな。夜になると出るんだ」
三週間。 薬剤師はその三つの箱を、棚に戻さず、カウンターの上に置いた。 市販薬は、数日で治るような症状のために作られている。 一週間から十日ほど飲んでも良くならない場合は、市販薬で何とかできる範囲を超えていると考えたほうがいい。
「失礼ですが、ほかにお飲みのお薬はございますか」
「血圧のやつを、朝に一つ」
咳止めの中には、血圧を上げてしまう成分が入っているものがある。 よく効く薬ほど、その心配は大きくなる。
「強いお薬ほど、体のほかのところにも効いてしまうんです」と薬剤師は言った。 「三週間続いている咳でしたら、市販のお薬でおさえるより、一度診ていただくほうが早いと思います」
男性は少し笑って、「病院は、待つのが嫌でね」と言った。
薬剤師はうなずいた。 「そうですよね。ただ、三週間の咳の原因を調べるには、受診していただく以外に方法がないんです。かかりつけのお医者さんは、いらっしゃいますか」
男性が近くの内科の名前を言うと、薬剤師は小さな紙に、男性が血圧の薬を飲んでいることと、咳が続いている期間を書いて渡した。 「受付でこれをお見せいただければ、先生に早く伝わります。それから、これからは新しいお薬を買う前に、一度こちらで声をかけるようにしてくださいね」
薬剤師の仕事は薬を売ることだと思われている。 実際には、売らない理由を説明するのに、いちばん長く時間を使う日もある。 この日、男性は薬を一つも買わずに店を出た。
三日後、その男性は処方箋を持って、同じカウンターに戻ってきた。 「先生に、よく気がついてくれたって言われたよ」と男性は言った。 薬剤師は処方箋を受け取り、いつもと同じように、飲み方の説明を始めた。
