明日の正午まで
なおきの部屋は六畳一間で、夜になると机の上だけが明るかった。 画面には、返事を待っているメールが開いたままになっている。 「四月からのご入社をお待ちしております」。 返事の期限は、明日の正午だった。
相手は都内のゲーム会社で、給料は今の三倍近い。 断れば、来月も再来月も、一枚三千円のイラストを数えながら生きることになる。 受ければ、描いた絵は全部、会社の物になる。 なおきは三時間、同じ画面を見ていた。
インターホンが鳴った。 しんじが、缶ビールを二本持って立っていた。 大学のときの友達で、今は印刷会社で働いている。
「暇そうな顔してる」としんじは言って、床に座った。
なおきは黙って画面を指した。 しんじはしばらく読んで、それから缶を開けた。 「いい話じゃん。何を迷ってんの」
「迷ってない。……いや、迷ってる」
「三倍だろ。俺だったら受けるよ」
「しんじ、絵、まだ描いてる?」
しんじはビールを一口飲んで、缶を床に置いた。 「描いてない。就職して、三年ぐらいで描かなくなった。忙しかったからじゃないよ。会社で一日中、人の絵を直してると、家に帰って自分のノートを開くのが、なんか、恥ずかしくなっちゃうんだよな」
部屋が静かになった。 窓の外を、電車が通る音がした。
「それ、受けるなって言ってる?」
「言ってないよ。金がないのも、けっこうきついぞ」としんじは言った。「どっちを選んでも、何か一個なくなる。それだけは本当」
なおきは冷蔵庫を開けて、そのまま閉めた。 中には何も入っていなかった。
十二時を過ぎたころ、しんじは床で寝てしまった。 なおきは机に戻って、メールの返事を書いた。 「よろしくお願いいたします」。 送信のボタンを押す前に、指が三秒止まった。 それから押した。
そのあと、なおきはノートを開いて、床で寝ているしんじを一枚だけ描いた。 描き終わるまでに、二十分かかった。
ノートを閉じて、なおきは、明日も描こうと決めた。 しんじも三年目までは、たぶん、同じことを思っていたはずだった。
