もう終わっていた注射
田村:先生、あの……やっぱり、削らなければなりませんか。
中野先生:うーん、レントゲンで見るかぎり、この虫歯はちょっと深いようですね。
田村:深い、ですか。
中野先生:ええ。もう少しで神経に届きそうです。今日のうちに治療しておいたほうがいいと思います。
田村:あの、痛みのほうは……。
中野先生:麻酔をしますから、削っている間は痛くないですよ。
田村:麻酔というのは、その、注射の……。
中野先生:はい。ちくっとしますが、一瞬です。田村さん、肩の力を抜いてください。口を大きく開けて。
田村:……はい。
中野先生:はい、いいですよ。……はい、終わりました。
田村:え。
中野先生:麻酔です。効いてくるまで、五分ほど待たなければなりません。
田村:……今の、注射だったんですか。
中野先生:ええ。何かおっしゃいましたか。
田村:いえ。……実は、これが怖くて、十五年、歯医者に来なかったんです。
中野先生:十五年。それは、ずいぶんお待たせしてしまいましたね。
田村:正直に言うと、今日も待合室で三回帰ろうとしました。
中野先生:三回とも座り直してくださって、よかったです。では、削って、詰め物をしますね。あと三十分ほど、がんばりましょう。
田村:はい。
中野先生:田村さん。次は、半年後の検診でお会いしましょう。そのときは、注射はありませんから。
田村:……半年後。はい、来ます。
