貸し出しカード
商店街の外れにある市立図書館の分館は、平日の午後になるといつも静かだ。 利用者は十人もいない。 田中さんは定年退職した年から、週に二度、ここで本を棚に戻す手伝いをしている。
作業はいつも同じだ。 返却された本をカートに積んでおいて、番号の順に並べ直し、それから一冊ずつ棚に戻していく。 単純な仕事だが、田中さんはこの時間が気に入っていた。 背中を丸めて番号を読みながら歩いていると、この分館の蔵書がどんな本でできているのか、少しずつ分かってくるような気がするのだ。
その日、『日本の野鳥』という古い本を手に取ったとき、ページの間から小さな紙が落ちた。 拾ってみると、昔の貸し出しカードだった。 名前を書く欄と、返却日のはんこが並んでいる、あの薄い紙である。
「懐かしいなあ」
田中さんは思わず声に出した。 この分館では、三十年ほど前まで、本を借りるときに自分の名前をカードに書く決まりだった。 だから、その本を前に誰が読んだのか、次に借りる人にも分かってしまう。 カードには十人ほどの名前が並んでいた。 上から順に読んでいくうちに、田中さんの手が止まった。
下から三番目に、自分の名前があった。 中学生のころの、少し右に傾いた字。 その下には、知らない名前が続いている。
カウンターにいた若い司書の女性が、様子に気づいて近づいてきた。
「どうかされましたか」
「いや、この本、私、一度だけ借りたことがあるんですよ」と田中さんは笑った。 「中学生のとき、鳥の写真がとても好きで。でも、借りようと思って来ると、いつも誰かが先に借りているんです。返ってくるのを、ずいぶん待ちました」
司書はカードをのぞき込んだ。
「じゃあ、この人ですね。田中さんのお名前の上の」
「そうみたいですね。四十年たって、やっと相手の名前が分かりました」
司書は少し笑ってから、自分はこのカードが実際に使われているところを見たことがない、と言った。 彼女が働き始めたときには、もう機械で貸し出しを記録するようになっていたのだ。
「古いカードは、見つけたら処分することになっているんです」
そう言いながら、彼女はしばらくカードを見つめていた。 それから、本の後ろのページにもう一度そっとはさんだ。
「このままにしておきましょうか。また誰かが見つけるかもしれませんから」
田中さんはうなずいて、その本を棚の上の段に戻した。 同じような背表紙が並ぶ中で、その一冊だけが、少しだけ違って見えた。
