四十年後の家庭科
店を閉めてから学校へ行く。 それが室井の水曜と木曜だ。 床屋の看板の電気を消して、自転車で十五分。 着くころには、もう日が暮れている。
五十八歳で定時制の高校に入ったと言うと、たいてい理由を尋ねられる。 室井の答えは短い。 十六の時に父が倒れて、学校をやめて店に入った。 それだけだ。 教育がどうという話ではない。
教室に入って一番驚いたのは、科目の名前が四十年前と同じだったことだった。
算数は嫌いではなかった。 割り算も、お釣りの計算も、今でも頭の中でできる。 困ったのは、それが数学になった時だ。 xとyが出てきた日から、算数と数学は別のものになって、四十年たっても別のままだ。 先週の授業も、若い先生が書いた式を写しているうちに済んでしまった。 店に帰って復習しても、そこだけは動かない。
物理と化学は、名前しか覚えていない。 生物だけは少し残っている。 子供のころ昆虫が好きで、羽の数を数えていたからだ。 地理は役に立った。 客の出身地を聞けば、だいたいの場所が分かる。 鹿児島から来た客に桜島の話をして、珍しく長い話になったこともある。
一番くだらないと思っていたのは家庭科だった。 男がなぜボタンを付ける練習をするのか、十六の室井には分からなかった。 当時、男子が家庭科を受ける学校は珍しく、校長の考えで始まった授業だったが、真面目にやったのは一日だけだ。 それなのに今は、週に一度、店のタオルや白衣を自分で縫っている。 習った料理のほうは一つも覚えていないが、夕飯の支度は毎日している。
歴史も嫌いだった。 年号を覚えるだけの時間だと思っていた。 今は違う。 客が置いていった本をきっかけに、去年から時代小説を読むようになった。 戦争の前の東京の話が多くて、自分の店のある道が出てくることもある。
先週の休み時間、隣の席の十八歳が、上着のボタンを手に持って困っていた。 会社の制服らしい格好だった。 室井は道具箱から針と糸を出して、三分で付けた。
「どこで習ったんですか」と若い男が聞いた。
「ここだよ」と室井は言った。 「四十年前の、この学校の家庭科の時間だ」
次の時間はまた数学だった。 xを使う機会は四十年で一度もなかったし、これからもないだろう。 それでも室井は席に着いて、先生が書いた式をまた写した。 休み時間に付けたボタンのほうは、たぶん十年は取れない。
