改札の中の商店街
光がこの駅を使い始めたのは、大学に入った年だった。 そのころ改札の中にあったのは、小さなキオスクが一つだけだ。 新聞と、ガムと、缶コーヒー。 急いでいる人が、電車が来るまでの三十秒で買うための店だった。
十五年たった今、その同じ場所にはパン屋がある。 朝、ホームまで匂いが上がってくるので、光は月に何度か匂いに負けて買ってしまう。
キオスクがパン屋に変わったあと、隣に本屋ができた。 文庫と雑誌ばかりの、細長い店だ。 それからコーヒーのスタンドと、生活雑貨の店。 去年は改札の中に歯科医院がオープンして、光は少し驚いた。 今年の春には二番線の下のエリアが工事で囲われて、来月そこにスーパーができるらしい。
こうして駅の改札の中に集まっている店を「駅ナカ」と呼ぶ。 もともと日本の駅は、切符を買って電車に乗るための場所だった。 それが今では、小さな商店街のようになっている駅も珍しくない。
理由は、考えてみれば分かる。 改札の中の店なら、わざわざ外に出なくても、乗り換えのついでに寄れる。 買い物のためにわざわざ時間を作らなくていい、というのが一番大きいようだ。 夜遅くまで開いている店も多いので、残業のあとでも間に合う。 鉄道会社にとっても、電車に乗る人がこれから減っていく時代に、駅そのものが商売の場所になるのはありがたい話だろう。 だから今、大きな駅では次々に新しいエリアが作られている。
ただ、光が本当に驚いたのは、店が増えたことそのものではなかった。
先週、光は仕事の帰りに、駅で夕飯のパンと牛乳を買い、雑誌を買い、歯医者の予約まで取った。 家に着いてから気がついた。 改札を出てから家に着くまでの間、店には一つも寄っていない。 その日の用事は、全部改札の中で終わっていたのだ。
駅は、通り過ぎる場所ではなくなっていた。 いつからそうなったのか、光には思い出せない。 たぶんこういうものは、ある日急に変わるのではなく、キオスクがパン屋になるくらいの速さで、少しずつ変わっていくのだろう。
