端に並んだ名前
祖父が亡くなって半年たった夏、りょうは実家の二階の物置を片づけていた。 段ボール箱が十以上あって、その中には、古い写真や、動かなくなった時計や、何が入っているのか分からない封筒が混ざっていた。
一番下の箱の底から、和紙の封筒が出てきた。 中には、折りたたまれた紙が一枚。 開いてみると、細い筆で書かれた文字がびっしり並んでいた。
りょうには一文字も読めなかった。 字が崩れていて、どこで一つの字が終わるのかも分からない。 母に見せたが、母も首を振った。
「おじいちゃんの字ね。でも、私も昔から読めなかったのよ」
祖父が字を書いているところを、りょうは見たことがなかった。 りょうが生まれたころには、祖父はもう手が震えていて、筆を持たなくなっていたのだ。
このままでは何も分からないので、りょうは商店街の書道教室に行ってみることにした。 二軒隣に住んでいる先生が昔の手紙を読める、と聞いたことがあったからだ。
先生は七十代の女性で、りょうの依頼を聞くと、机の上に紙を広げて、老眼鏡をかけた。
「ああ、崩し字ですね。昭和の初めごろの人は、みなさんこういう書き方をしましたよ」
「読めますか」
「時間をいただければ。……それにしても、非常にきれいな字です。達筆ですね」
先生は三十分ほどかけて、一行ずつ声に出しながら解読していった。 りょうは横に座って待った。
内容は、りょうが想像していたものとは全く違った。 長い別れの言葉でもなければ、家族への遺言でもない。 書いてあったのは、次の日曜日に着く汽車の時刻と、駅まで迎えに来てほしいということ、それから、雨が降りそうなので傘を持ってきてほしい、ということだけだった。
「宛先は……お祖母様ですか」
りょうはうなずいた。 祖母の名前だった。 結婚する前の手紙のようだ。
「ただの用事の手紙ですね」と先生は言って、少し笑った。 「でも、面白いのはここです」
先生が指したのは、紙の左の端だった。 細い字で、同じ二文字が何度も書かれている。 祖母の名前だった。 八回、いや、九回。 だんだん形が整っていく。
「宛名をきれいに書くために、ここで練習したんでしょう。つまり、これは下書きです。本物のほうは、ちゃんと送ったんだと思いますよ」
帰り道、りょうは封筒を持ったまま、しばらく歩いた。 祖父の字は確かにうまかった。 けれども、りょうの記憶に残ったのは、その上手な字よりも、端に九回並んだ、少しずつ形の変わる名前のほうだった。
