魔術(四)
ミスラ君はまだ微笑を含んだ声で、こう私に礼を言いました。 勿論その時はもう多くの書物が、みんなテエブルの上から書棚の中へ舞い戻ってしまっていたのです。 私は夢からさめたような心もちで、暫時は挨拶さえ出来ませんでしたが、その内にさっきミスラ君の言った、「私の魔術などというものは、あなたでも使おうと思えば使えるのです。」という言葉を思い出しましたから、「いや、兼ね兼ね評判はうかがっていましたが、あなたのお使いなさる魔術が、これほど不思議なものだろうとは、実際、思いもよりませんでした。ところで私のような人間にも、使って使えないことのないと言うのは、御冗談ではないのですか。」
「使えますとも。誰にでも造作なく使えます。ただ――」と言いかけてミスラ君はじっと私の顔を眺めながら、いつになく真面目な口調になって、「ただ、欲のある人間には使えません。ハッサン・カンの魔術を習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。あなたにはそれが出来ますか。」
「出来るつもりです。」
私はこう答えましたが、何となく不安な気もしたので、すぐにまた後から言葉を添えました。
「魔術さえ教えて頂ければ。」
それでもミスラ君は疑わしそうな眼つきを見せましたが、さすがにこの上念を押すのは無躾だとでも思ったのでしょう。
やがて大様に頷きながら、「では教えて上げましょう。が、いくら造作なく使えると言っても、習うのには暇もかかりますから、今夜は私の所へ御泊りなさい。」
「どうもいろいろ恐れ入ります。」
私は魔術を教えて貰う嬉しさに、何度もミスラ君へ御礼を言いました。
が、ミスラ君はそんなことに頓着する気色もなく、静に椅子から立上ると、「御婆サン。御婆サン。今夜ハ御客様ガ御泊リニナルカラ、寝床ノ仕度ヲシテ置イテオクレ。」
私は胸を躍らしながら、葉巻の灰をはたくのも忘れて、まともに石油ランプの光を浴びた、親切そうなミスラ君の顔を思わずじっと見上げました。
私がミスラ君に魔術を教わってから、一月ばかりたった後のことです。 これもやはりざあざあ雨の降る晩でしたが、私は銀座のある倶楽部の一室で、五六人の友人と、暖炉の前へ陣取りながら、気軽な雑談に耽っていました。
