十五年ぶんの光
野々瀬川は、人口一万二千人ほどの町の中心を流れている。 幅は八メートルほどで、深いところでも大人のひざまでしかない。 三十年前、この川に近づく人はほとんどいなかった。 夏になると水が白く濁り、洗剤の泡が橋の下にたまった。 町の人は「あの川には取り柄が一つもない」と言った。
川をきれいにする委員会ができたのは、それから数年後だ。 集まったのは、農家、商店の主人、小学校の先生、退職した町の職員だった。 予算はほとんどない。 だから、一度に大きなことをするのではなく、小さなことを一つずつ検討して、順番に試すことにした。
一年目にしたのは、家庭の排水を下水につなぐ工事の呼びかけだ。 町に処理場ができたばかりで、つないでいない家が半分近く残っていた。 委員会は一軒ずつ回った。 三年かかって、九割の家がつながった。
三年目には、洗剤の話をした。 合成洗剤をやめて石けんを使う家を増やす運動で、これは地元の婦人会と一緒に進めた。 効果はすぐには見えなかったが、泡は少しずつ減った。
五年目には、岸を直し始めた。 コンクリートで固めた部分をこわして、石と土に戻した。 この工事の目的は、水をきれいにすることではない。 蛍の幼虫が土の中でさなぎになるためには、やわらかい岸が必要だからだ。
七年目には、草刈りの時期を変えた。 それまでは六月に川岸の草を刈っていたが、その時期は幼虫が水から上がってくるころだと分かった。 刈るのは八月にした。 九年目には、川沿いの街灯にカバーをつけて、光が水面に落ちないようにした。
どの年の仕事も、それだけでは何も変えなかった。 排水をつないでも泡は残り、岸を土に戻しても蛍は来なかった。 委員会の記録には、毎年、同じような短い文が並んでいる。 「今年もカワニナは見つからず」。
変化が見えたのは十四年目だ。 小学生の調査で、川底の石にカワニナが増えていることが分かった。 カワニナは蛍の幼虫の食べ物である。 その次の年の六月、夜に川へ行った委員が、橋の上から光を数えた。 七つだった。 今では、六月の夜に百を超える。
蛍を呼び戻した方法は、一つではない。 処理場と、石けんと、土の岸と、草刈りの時期と、街灯のカバーを、十五年ぶん足したものだ。 取り柄が一つもないと言われた川は、今、この町の一番の取り柄になっている。
