物置の自転車
三月の平日の午後、たかしは大宮駅の改札の前にあるカフェで、次の約束の時間を待っていた。
隣の席の男が、コーヒーを飲みながら書類に何か書き込んでいた。 横顔に見覚えがあるようで、たかしは何度もそちらを見てしまった。 中学のとき同じ野球部だった、しんじに似ている。 けれども、しんじはもっと痩せていたし、髪ももっと長かった。 他人の空似かもしれない。 声をかけて違ったら、気まずい。 たかしはコーヒーに目を戻した。
そのとき、男の携帯が鳴った。 「はい、もしもし。ああ、その件ね。うん、うん、分かった」
低い声の後ろに、笑うような息の音が混じった。 その笑い方だけは、二十年前と全く同じだった。 電話が終わるのを待って、たかしは声をかけた。 「しんじ?」
男が顔を上げた。 三秒ほど黙ってから、目が大きくなった。 「たかし?うそだろ」
二人は同じテーブルに移った。 そして、ほとんど同時に名刺入れを出してしまって、顔を見合わせて笑った。 「中学の友達に名刺出すか、普通」
「出さないな」としんじも笑った。
それでも、しばらくは近況の話が続いた。 しんじは市内の建設会社にいて、去年から課長になったらしい。 子どもが二人いて、上は今年中学生になる。 たかしのほうは電車で四十分の町に住んでいて、仕事で月に何度も大宮を通っている。 同じ県に十年以上住んでいたのに、一度も会わなかったわけだ。
「去年、同窓会があったらしいよ」とたかしが言った。
「聞いた。行かなかったけど」
「俺も」
高校が別々になったとき、二人は喧嘩をしたわけではなかった。 ただ、連絡する理由がだんだんなくなって、気がついたら疎遠になっていた。 そういうものだと、たかしはずっと思っていた。
「そういえば」と、しんじが急に言った。 「お前の自転車、まだうちの物置にある」
一瞬、何のことか分からなかった。 中学三年の冬、塾に行くのに貸した、青い自転車のことだ。
「返さなきゃと思ってるうちに、二十年たった。悪い」
「あれ、まだあるのか」
「タイヤはもうだめだけど、鍵は付いてる」
たかしは笑った。 懐かしいというより、少しおかしかった。 二十年分の話は五分で終わったのに、自転車の話だけが、まだ終わっていなかった。
「じゃあ、今度の日曜、取りに行っていいか」
「タイヤ、直しとくよ」としんじは言って、携帯をもう一度出した。 「番号、教えろ」
二十年前は、連絡する理由がなくなって疎遠になった。 今度は、その理由が物置に置いてある。 タイヤのだめになった、青い自転車が一台。
