町で一番の店
うちの包丁は、もう切れない。 母がトマトを切っても、皮が潰れるだけだ。
「駅の近くに、刃物を研いでくれる店があるでしょう。持って行ってくれない?」と母に頼まれた。
商店街の一番端に、その店はある。 祖父が生きていたころ、僕はよくここへ連れて来てもらった。 祖父は、包丁を研ぐならこの店が町で一番だと言っていた。
「お預かりします」と、おじいさんは包丁を受け取った。 「三十分ぐらいで終わるはずですよ」
僕は横の椅子に座って、待った。 おじいさんは水をかけながら、石の上で包丁をゆっくり動かす。 しゃっ、しゃっ、と同じ音が続く。 祖父の隣でこの音を聞いていたことを思い出した。
「はい、できました」と言って、おじいさんは包丁を見せてくれた。 刃は前よりずっと鋭くて、白く光っている。
「大切に使ってください」とおじいさんは言った。 「いい包丁は、研げば何十年でも使えます。使ったら、すぐ拭いてくださいね」
家に帰って、母にトマトを切ってもらった。 包丁は音もなく、すっと下りた。
「新しいのを買って来たのかと思った」と母は笑った。
この包丁は、僕が生まれる前からうちにある。 あと何十年か、まだ使えるはずだ。
