カバン、開いてます
安曇は三日かけて、三つの文を作った。 最初の文で天気の話をして、次の文で、同じ電車になって今日で一年になることを言い、最後の文で好きだと言う。 告白のプランはそれだけだ。 声に出して読み返すと、二つ目がロマンチックすぎて、自分でも恥ずかしかった。
片思いはもう一年になる。 恋の話を友達にしたことは一度もない。 恋人になりたいのか、ただ毎朝のこの五分があればいいのか、自分でもよく分かっていない。 万一断られたら、明日から同じ電車に乗れなくなる。 それが一番怖かった。
いつもより十分早く家を出た。 三鷹駅の三番線。 安曇はいつもと同じ位置に立った。 先輩は毎朝、後ろから三両目のドアから乗る。 ホームの端は風が通っていて、指先が冷たかった。
先輩は手を上げて挨拶し、安曇の隣に並んだ。 息を吸ったところで、特急の通過を知らせるアナウンスが流れた。 特急が通り過ぎるまでの四十秒、声を出しても何も聞こえない。 一つ目の文は、天気の話のまま終わってしまった。
電車が来た。 乗客に押されて、二人はドアの近くに立った。 誰かのリュックが安曇の背中にぶつかった。 二つ目の文を言おうとしたとき、先輩が昨日の資料の礼を言い、そのまま仕事の話になった。 仕事の話は三駅続いた。 もう今日はパスでいい、と安曇は心の中で言った。 そう決めた瞬間、少しほっとしている自分がいて、それが少し悔しかった。
映画なら、この後キスの場面になるところだ。 現実には、先輩の降りる駅に着いて、ドアが開いた。
先輩がホームに降りて、振り返った。 ドアが閉まるまで、あと何秒もない。
安曇はなんとか声を出した。 「先輩、カバン、開いてます。」
先輩は下を見て、口の開いたカバンを押さえた。 それから顔を上げて笑った。 「うわ、ありがとう。落とすところだった。」
ドアが閉まる直前、先輩は片手を上げて、口の動きだけで「明日も」と伝えた。 安曇はうなずいた。 今後のことは何も決まっていない。 ポケットの中には、三日かけて作った三つの文が、まだ紙のまま入っている。
