文房具とパンの店
(十月の午後、駅前の公園。匠がベンチでコーヒーを飲んでいると、沙耶が前を通りかかる。)
沙耶:え、匠? 匠だよね。
匠:……沙耶か。うわ、久しぶり。何年ぶりだろ。
沙耶:卒業してからだから、八年。隣、いい?
匠:どうぞどうぞ。この辺住んでるの?
沙耶:先月引っ越してきた。そこの商店街に店出したから。
匠:店? 何の。
沙耶:小さいパン屋。一人でやってる。
匠:すごいな。会社、辞めたんだ。
沙耶:三年前にね。まあ、辞めるまでが長かったけど。匠は?
匠:俺は変わらず。文具メーカーの営業。もう九年目。
沙耶:安定してるじゃん。
匠:うん、安定してる。……自分で言うと、なんか変な気持ちになるけどな。
沙耶:分かる。私もそれ言われるたびに、そうですねって笑ってた。
匠:大学のとき、二人で店やろうって話したことあったよな。
沙耶:あったね。文房具とパンの店。今考えると、意味が分からない。
匠:意味は分からないけど、あれ、本気だったよ。
沙耶:……じゃあ、本気で聞くけど。うちの店、二階が空いてるの。文具、置いてみない?
匠:え。
沙耶:仕入れは匠のほうが詳しいでしょ。私は場所を貸す。売れたら分ける。売れなかったら、二人で困る。
匠:それ、いつかは会社辞めることになるよな。
沙耶:最初は続けながらでいいと思う。でも、本気でやるなら、いつかはね。
匠:……給料、今よりだいぶ下がるだろうな。
沙耶:下がるよ。うちだって、去年やっと自分の分が出せるようになったところだし。
(匠は少し黙って、コーヒーの缶を見ていた。)
匠:月曜、上司と話してみる。
沙耶:え、今日決めなくていいって言ったつもりなんだけど。
匠:うん。でも、もう決まっちゃった。八年も考えさせてもらったし、十分だろ。
沙耶:ふふ。じゃあ来週、店に来て。二階、埃だらけだから、まず掃除から。
匠:初日から?
沙耶:うん。パンは焼いておいてあげる。
