棚は、よく動く
のぞみさんは、何でも「たしか」で始める人だった。
「たしか、この資料は去年の三月のものだと思うんですけど」と、のぞみさんはよく言った。 そう言いながら、彼女は日付を一度も間違えなかった。 会議で誰かが数字を忘れると、必ず彼女が拾った。 それなのに、いつも頭に「たしか」が付いた。 普段の会話でも同じで、昼に何を食べたかまで「たしか、パスタ……だったかな」と言う。 自分の昼ご飯である。
正直に言うと、少し気になっていた。 知っているなら、知っていると言えばいいのに。 ある日、僕は思い切って聞いてみた。
「のぞみさん、それ、絶対に合ってますよね。どうしていつも『たしか』って言うんですか。」
彼女は少し笑って、こう答えた。
「うちの棚、よく動くから。」
意味が分からなかった。 その時は、冗談だと思って、それで終わりにした。
彼女が大阪の支社に移って、既に半年になる。 隣の席は新しい人のものになり、僕の周りは随分変わった。
先週、その新しい人に、コピー用紙の場所を聞かれた。 下の棚の右側だ。 僕が毎週そこから出している。 間違えるはずがない。 それでも、口から出たのは違う言葉だった。
「たしか、下の棚の右だったと思います。」
彼はすぐに戻ってきた。 用紙はそこになかったそうだ。 その週の初めに、隣の部屋の倉庫に移されていたらしい。
もし僕が「下の棚です」と言い切っていたら、彼はあの棚の前で、しばらく一人で探していただろう。 「たしか」と言ったから、彼は一度で僕のところに戻ってこられた。
のぞみさんの棚は、本当によく動いたのだ。
