赤い玉(二の三)
といって、おこって一人ずんずん小舟に乗って、日本の国へ逃げて行きました。 そして摂津の難波の津まで来てそこに住みました。 それが後に、阿加流姫の神という神さまにまつられました。
新羅の王子の天日矛は、このお嫁さんの後を追って、日本の国へ渡って来たのでした。 けれども摂津国まで来ると、大国主命に止められて、陸へ上がることができないので、しばらくは海の上に住んでいました。 けれどそこの海からは、どうしても日本の国へ入る望みがないので、ぐるりと外を回って、但馬国から上がりました。 そしてしばらく暮らしているうちに、土地の人をお嫁にもらって、とうとうそこに居ついてしまいました。
この天日矛の八代めの孫に当たる人が、後に神功皇后のお母君になった方です。 それから垂仁天皇のおいいつけで、はるかな海を渡って、常世の国までたちばなの実を取りに行った田道間守は、天日矛には五代めの孫でした。
また天日矛はこちらへ渡って来るときに、りっぱな玉や鏡などのいろいろの宝を八品持っていましたが、 この宝は、後に但馬国の出石の大神とまつられました。
