保証人の欄
不動産屋の紙には、家賃七万三千円と書いてあった。 その金額なら、僕の給料でも払っていけるはずだった。
「では、初めにかかるお金のご説明をしますね」大西さんはそう言って、電卓を僕のほうに向けた。
敷金が一か月、礼金が一か月。 それに最初の月の家賃と、火災保険と、鍵の交換代。 電卓に出た数字は、三十万を超えていた。
「あの、これ、全部先に払うんですか」
「そうです。皆さん、ここで一度驚かれます」
大西さんは慣れた様子で笑った。 この商店街で三十年やっているだけに、僕みたいな顔は何百も見てきたのだろう。
貯金は四十万ある。 払えない額ではない。 ただ、机も洗濯機も買わなければならないので、残りでどう暮らすのか、急に分からなくなった。
「もう少し安いお部屋も、探せますよ」
「……いえ、あの部屋がいいんです」
二階の角部屋だった。 窓を開けると、隣の家の庭の木が見えた。 あそこで暮らすところまで、もう頭の中では決まっている。
「では、あと一つだけ」 大西さんは書類の一番下を指した。 「保証人の欄です。ご家族の方に、お願いできますか」
僕は黙った。
去年の春、大学をやめて働くと言ったとき、父とは大きな喧嘩をした。 それから一度も、こちらから電話をかけていない。
「保証会社を使う方法もありますよ。ただ、家賃の半分ほど、料金がかかります」
三十万に、さらに三万五千円。
「少し、外で電話してきてもいいですか」
店の外に出て、番号を押した。 何を言われても言い返さないように、言葉をいくつか用意しておいた。
呼び出し音が四回鳴って、父が出た。 声は、思っていたより普通だった。
「あの、部屋を借りるんだけど、保証人の紙に、名前が要るんだ」
少し間があった。
「住所は」
「え」
「送るから、住所を言え。書き方は、店の人に聞けばいいんだろう」
僕が読み上げると、父は「明日、出しておく」と言って、電話を切った。 天気の話も、大学の話もしなかった。
店に戻ると、大西さんが「どうでした」と聞いた。
「大丈夫でした。父が書いてくれます」
「よかった。じゃあ、契約の日を決めましょう」
用意しておいた言い訳は、一つも使わずに済んだ。
