夜十一時の電話
直子から電話がかかってきたのは、夜の十一時過ぎだった。 美穂はもう布団に入っていたが、声を聞いてすぐに起き上がった。
「ごめん、こんな時間に。あのね、会社のこと」
「うん。やっぱり?」
「うん……。来月、部署が変わることになりそうなの」と直子は言った。
直子の会社は、春から人が減っていた。 直子は今の仕事が好きだったが、新しい部署は、まったく違う仕事らしい。
「それで、前に話した小さい会社から、もう一回連絡が来て。給料は今より少し下がるんだけど」
「向こう、何人の会社だっけ」
「六人。事務所も、中野の古いビルの三階」
「うわ、狭そう」
「うん。でも、この前見に行ったら、みんなで一つの机で昼ご飯食べてて」
直子はそこで少し黙った。 美穂は、直子がその話をするのは三回目だということに気づいていた。
「行きたいの?」
「わからない。……ううん、わかんないっていうか」
「返事、いつまで?」
「金曜。もう、二回も待ってもらってる」
美穂は何も言わずに待った。 直子は昔から、話しているうちに答えが出るタイプだ。 美穂は台所へ行って、水を一杯飲んだ。 電話はつないだままだった。
「たぶん、このままだと、来年も同じことになると思うの。異動になって、慣れて、また異動になって」と直子は言った。 「そういうふうに決まっていくのに、なんかもう、疲れちゃった」
「うん」
しばらく、電話の向こうで音がしなかった。
「……決めた」と直子が言った。 「私、来月で辞めることにする。あっちの会社に行く」
「そっか」
「怖いけどね」
美穂は少し笑って言った。 「直子、さっきからずっと『ことになる』ばっかり言ってたよ。やっと『ことにする』って言ったね」
電話の向こうで、直子が息を吐く音がした。 それから、笑い声が聞こえた。
「ほんとだ。……そうだよね、私が決めるんだもんね」
