八時までは店だ
八月三十一日。 山本文房具店の、最後の夜だった。
シャッターの横に、区の紙が貼ってある。 「道路工事のお知らせ 下記の通り、九月一日より工事を行います」。 下記には、工事の期間と、この通りの建物の番号が並んでいた。
山本さんはその紙を毎日見ていたが、一度も最後まで読まなかった。 読まなくても、書いてあることは分かっている。 道を広くするために、この計画によって、この通りの店は全部なくなってしまう。 法律で決まったことだから、どうにもならない。
息子の隆が横浜から来て、夕方から荷物をまとめている。
「親父、この棚は。もう使わないだろ」
「置いていく」
「じゃあ、この帳面は」
「それは持って帰る」
隆は箱にガムテープを貼りながら、少しいらいらしていた。 父はさっきから、同じ引き出しを何度も開けたり閉めたりしている。 中には、古い鉛筆が十本ほど入っているだけだ。
「七時半だよ。そろそろ閉めよう」と隆が言った。
「八時までだ」と山本さんは言った。
「今日はもう誰も来ないって」
「八時までは店だ」
七時五十分ごろ、ガラス戸が開いた。 中学生ぐらいの女の子が、走って入ってきた。 息を切らしている。
「あの、赤いペン、ありますか。明日、テストで」
「赤ペンね。そこの、二番目の棚」
女の子は赤ペンを一本持ってきた。 山本さんは古いレジを開けて、お金を受け取り、おつりを渡した。 レジの音が、静かな店の中に大きく響いた。
「ありがとうございました」
女の子が走って出て行くと、店はまた静かになった。
隆が笑った。
「もう閉めるって、あんなに大きく紙が貼ってあるのにな」
「貼ってあってもな」と山本さんは言って、電気を消した。 「開いている間は、店なんだ」
八時。 山本さんはシャッターを下ろした。 四十年間、毎晩聞いてきたのと同じ音がした。
