おばあちゃんの湯
みさきが浴衣を着るのは初めてだった。 帯がうまく結べなくて、おばあちゃんが後ろから直してくれた。
「温泉の町は、浴衣で歩くのがいちばん楽しいよ」とおばあちゃんが言った。
夕方の道は下駄の音でにぎやかだった。 旅館の前に赤い提灯が並んで、どこからか湯の匂いがした。 みさきは新しくて大きいお風呂に入りたかった。 ガラスの壁の写真を、旅行の本で見たことがある。
「おばあちゃん、あそこに入ってもいい?」
「いいよ。でもその前に、紹介したい所があるんだ」
おばあちゃんが連れて行ったのは、細い道の奥の小さな湯だった。 木の戸は古くて、看板の字も消えかかっている。 中にはだれもいないようだった。 二人でゆっくりお湯につかった。 窓の外はもう暗くて、山の形だけが見えた。
「五十年前、この湯でおじいちゃんに初めて会ったの。あの人、湯から出た後、そこの石に座って寝てたのよ」とおばあちゃんが笑った。
帰り道、おばあちゃんは小さい手ぬぐいをみさきに渡した。 青い色が、もう白くなっている。
「あの日、おじいちゃんが買ってくれたもの。今日からみさきのだよ」
