初めてのお客様
商店街の角に、四十年続く小さな床屋がある。 その日、ガラス戸に一枚の紙がはってあった。 「本日、初めてのお客様に限り、二割引き」。
紙を見て、常連のおじさんは、ふと考えた。 この店には、もう十年も通っている。 だが、初めての客のふりをすれば、二割引きになるのではないか。 ちょうど今日は、財布も少しさびしい。
おじさんは、わざとらしくガラス戸を開けた。 「あのう、こちらは初めてなんですけど、いいですか。」
理容師は、鏡ごしにその顔を見た。 毎月見ている、常連の顔である。 それでも、何も言わなかった。 「ええ、どうぞ。初めてのお客様ですね」と、にこにこして椅子をすすめた。
「どんなふうに切りましょうか。」
「そうですねえ、耳が出るくらいに、短めで」とおじさんは、いかにも初めてらしく、ていねいに注文した。 本当は、十年間ずっと同じ髪型なのだが。
理容師は、笑いをこらえながら、はさみを動かした。
やがて、髪を切り終えたところで、理容師が鏡を後ろに回した。 「はい、いつもの通り、後ろも短くしておきましたよ。」
「ああ、どうも」とおじさんはうなずいた。 が、その言葉を聞いたとたん、はっとした。 いつもの通り——?
理容師は、とうとうこらえきれずに笑い出した。 「もう十年のお付き合いですよ。 お顔を忘れるわけがないでしょう。」
おじさんは、真っ赤になった。 「ばれてましたか。」
「最初からです」と理容師は言った。 「でも、せっかくの初めての演技でしたから、最後まで見せていただきました。」
そう言って、理容師は伝票に、三割引きと書いてくれた。 「初回割引です。 ……というのは冗談で、常連割引にしておきますね。 こっちのほうが、少しお得ですよ。」
